障害者の恋愛について

障害者の恋愛について

皆さんこんにちは川崎良太です。これまで硬い記事ばかりお届けしてまいりましたが、今日は障害者の恋愛について、まさに持論を展開したいと思います。持論といっても、いち障害者が語ることですから少しは実態に即したものになっているのではないでしょうか。

それではスタート!私はよく自分のプロフィールの最後に失恋多きロマンチストと書きます。これは正直に書いているなと自分でも思います。大なり小なりそれなりの恋愛をしてきたからです。ですがよく考えてみましょう。一人の30を過ぎた男がプロフィールに恋愛のことを書くでしょうか。

私はナルシストだと思いますが、どう考えても普通の30を過ぎた男だったら失恋多きなどということをプロフィールに書かないでしょう。このことについて自分でよく考えてみました。するとそこには大きな問題が横たわっていることに気づきました。私はよく障害についての講演で彼女ができました、彼女と別れました、というようなことを序盤で話すことがあります。講演の手法で言うといわば、つかみの部分です。

ここでまた気付きます。一人の30を過ぎた男の恋愛事情なんて講演を聞く人は興味がないはずです。しかし私がこの話題を出すと会場の空気が盛り上がります。聞いてくれている人の目が開きます。なぜでしょうか、突き詰めていくと障害者は恋愛をしない、できない、もしくはする理由がない、と心のどこかで思っているから、すごい!この人は恋愛をしてるんだ!と興味を惹かれるのではないでしょうか。恋愛のことを書くと言っておきながらまた難しい問題を取り上げてしまいましたが、これは障害者に対する一種の偏見であると私は思っています。

多くの人は人を好きになり、その人のことを思って頭がいっぱいになる経験があると思います。そういった甘酸っぱいところから、ほろ苦い恋愛も経験して大人になっていくものなのではないでしょうか。恋愛が苦手な人もいるでしょう。そんなものいらないと思っている人もいるでしょう、そういった自由もありますし、しない人を否定することなんてできるわけがありません。

しかしいざ障害者が恋愛をするとなると世間が注目します。近年でも、障害者の男性と健常者の女性をモデルにした恋愛ドラマが放送され、話題を集めました。その多くが女性の優しさに感動したとか、男性のひたむきに頑張る姿が素敵だった、こんな障害者だったら恋愛できるかもしれないと思ったといったような感想が多いです。こういったテーマは実はかなり昔から取り扱われているテーマでもあります。そのたびに同じような感想が残り、障害者も恋愛できるんだ、と当事者や周りも含め一瞬の盛り上がりを見せますが、また忘れ去られ同じことが繰り返されています。

これはいわゆる感動ポルノと似たような現象です。自分たちより劣っているものが、必死に頑張る姿を見て、そこに感動するのです。恋愛も同じです。恋愛という不確かなものを障害という壁を乗り越えて、物にしていく姿はファンタジー要素は溢れていると思います。 では実際そこには美しく清らかな感動が待っているのでしょうか 。実際はそうではないと思います。たくさんの差別や偏見にまみれ、障害者は恋愛という本来なら輝きに満ちた場所であるはずのところに一種の憧れを持ちつつも、敬遠してしまう現状があると思います。

それをひとつひとつ私の経験をもとに見ていきましょう。デートの際に困ったこと、トイレ問題。例えば出会って間もない気になる人ができた時、勇気を出してデートの約束を取り付けておしゃれをして意気揚々と向かいます。どういう話をしようか、何と言って相手を褒めようか、一緒に楽しめるか不安だな。色々な気持ちが交錯すると思いますが、障害の頭の中半分はトイレのことが占めています。デート中にもしトイレに行きたくなったらどうしよう途中で漏らしてしまったらどうしよう、誰に頼もう…そういったことばかりが頭の中をよぎってデートを楽しめていないかもしれません。

実際私はそうでした。デートに行く前は水分を制限しなるべくトイレに行かないようにしていた記憶があります。考えてみてください。初めてデートする相手にトイレ介助を頼まれたらいい気持ちがする人はかなり少ないと思います。障害者が悩む原因はここにあります。これはトイレの問題に限らず食事をとること、何か乗り物に乗るときの手間、デートをするだけでも色々な壁にぶつかるのは現実としてあることで、なぜそこに障害者が負い目を感じてしまうのか、そこには一般で言う男が頑張るべきとか、そういう性差別の問題もあると思いますが、もう少しフランクに考えると、良いところを見せたいとか相手を助けてあげたいとか、そういう気持ちの真逆の行為となってしまうからです。

結局はこういうところを乗り越えて、お互いの性格の相性と居心地のいい関係が築かれ何の問題もないのですが、やはり初回の段階というところではつまずく原因となってしまうでしょう。ですが皆さんお気づきの通りこの問題も繰り返されています。障害者が恋愛を語るとなると必ずトイレ問題が出ます。この話題ももう何十回何百回何千回と繰り返されてきた、使い古された話題であることはお分かりになるかと思います。ではこれをどう解決して行ったらいいかということを考えなければなりません。答えはひとつ自分をさらけ出すしか方法はありません。口で言うのは簡単ですし、私自身もなかなか出来てこなかったことですが、これから恋愛を楽しんだりパートナーが現れた時に、その自分をさらけ出すということを抜きにして私たち障害者は恋愛という土俵に乗ることは難しいと考えます。自分をさらけ出すとはどういうことでしょうか。


端的に言うとできないことを伝えるということだと思います。ここで誤解されがちなことがあります、できないことをさらけ出す代わりに私はこういったことをしてあげられますよと言ったような、出来ないことを引き合いに自分のよさを出すような行為です。

例えばトイレや食事を自分ですることはできないけれども、立派な仕事をしていて、給料が安定しています、だから結婚ができました。といった考え方もあまりお勧めできるものではないかなと個人的には思います。それはたとえ立派な仕事をしていなくても、健常者同士好きになれば気が合えば結婚することができるからです。障害者は身の回りのことが自分でできなくても立派な仕事を持っていて、給料が良くてそれを上回るような良い事がないと恋愛や結婚ができないのでしょうか?本当はそうではないと思います。

できないことをさらけ出すというのは本当の意味で、本当の自分を相手に伝えるということだと思います。かっこつけたりかわいこぶったりしてしばらくの間は本当の自分を隠して恋愛をするというのは一種のエンターテイメントであり楽しいのかもしれません。しかしそれは長続きするでしょうか、自分の汚いところやダメなところも見てもらって、それでも一緒にいたい居心地がいいという人たちが長続きするのだと思います。障害を持っていると、かっこつけたりかわいこぶったりすること自体が難しいことは先ほど説明しましたが、こうやって考えてみるとかっこつけたりかわいこぶったりすることがスタートの恋愛は、結局その場限りのものとなってしまう。本当の意味での愛にはつながらないと思います。こういったことから考えると障害者はスタート地点ではマイナスかもしれませんが、障害があるということはできないことを素直に相手に伝えるチャンスでもあります。 そこでしっかりと伝えることによって相手も自分に気持ちを許してくれて居心地がいい関係ができる可能性は増えるのではないでしょうか。

障害をマイナスに捉えたり、逆に武器にしようというような話題も当事者界隈ではよくあることですが、結局はそういう部分ではなく、相手と対等な立場で話をして相手のことを気遣ってそして自分のできないことを素直に話していくそれを認められる関係が素敵なパートナーシップだなと思っています。僕をこんな風に思えるようにしてくれたのは妻のおかげだと思います。それまでの恋愛で言うと健常者当事者どちらとも付き合ったことがありましたが、どちらの時も僕は自分をさらけ出すことができずに常にかっこつけていました。収入が低い自分を嘆いたり、自分で身の回りのことができないことを恨んだり、恋愛が楽しいものというより苦痛なものであったと記憶しています。それは障害がマイナスに作用していたからです。 しかし妻と出会ってそれは間違っていたのだと気づきました。妻は自分のことをたくさん話してくれ、僕も自分のことをたくさん話しました。これまで苦しかったこと、つらかったことをありのままに話して、自分の体のことやできないこと生活のこと等も全て話をすることができました。

もちろん体が動かないことは恋愛や結婚生活にとっては、全てプラスに働くかというとそうではない場合もあります。常に人が介在しているという状況はプライベートを晒すさらけ出すことに慣れていないと、苦痛になるときもあります。

でもだからといってそういったことを止めるとなると、それは自分の生活や人生を否定することになるのではないでしょうか。恋愛をする前にまず自分の人生をしっかり生きること。自分の生活はこういった状態でこういった人たちに支えられていて今があるし、そういうことの積み重ねてきた結果が今の自分を作っている、その自分を好きになってくれた人がいるとするならば、その自分の人生を大切にすることがより良いパートナーシップを築く上で大事だと思います。障害を持っている人は優しい、とよく言われますがきっと優しくないと、「障害を持っているのにあの人はとても汚い強い人間だ」と思われてしまうでしょう。逆に言うと、怖いと思われる障害者は、そういった批判を恐れずに自分を出せている素晴らしい人間だということになるかもしれません。障害者自身に自信がなく障害者というバイアスに自分自身が入ってしまっていて本当の自分出せない。


これが結果的に恋愛が難しいということに繋がっていく気がしています。今回は抽象的に障害者の恋愛のことを話しましたが、次回は自分の失敗談をもとにお話ししたいと思います。その失敗談が日本のどこかに住む障害を持った人の失敗の経験となり、自信になってくれれば幸いかなと思います。

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