双極性障害I型とてんかん闘病記23

コンビニのパート開始

いよいよコンビニ新規開店です。

実はこの日は私は公休でした。でもオープンで人が足りないから出勤してくれと頼まれました。でもまだ風邪は治っていないし…。と思いましたが出勤しました。

6時から出勤し7時開店です。準備時間の1時間はドキドキ緊張しましたね。

開店と同時にお客様がたくさんきました。

とにかくレジをこなしていました。

すると9時までのメンバーから1人延長できないかと打診があり、私ではなくもう1人が残業しました。

翌日も同じようで、この日は私が残業しました。が、12時頃だったと思います。風邪は治っていない私でしたからふらついてしまい倒れてしまいました。

本部から来た社員さんが心配してくださり、救急車呼ぼうか?とも言ってくれましたが、そこまでじゃないので断りました。

しばらく休んでからそのまま帰宅。更に翌日は早朝組二人とも残業、私は午後は家事代行の仕事もありました。

いくらオープンだからと言って、週9時間勤務で入ったのに3日で16時間働いたことになりました。

しかも1日7時間働いて休憩はなかったです。

その後しばらくは週3日1日3時間勤務になりましたが2ヶ月後からどんどんきつくなっていきました。

話が違うでしょ?

仕事に慣れてきた頃店長から、人が足りないから、もっとシフトに入ってくれないかと言われました。

そして、火曜日、金曜日を除く週五日1日7時間入ることになってしまいました。

そうなると家事代行もとなるとかなりきつくなるので、家事代行を辞めることにしました。

家事代行はきちんと引き継ぎをしてから辞めました。

そして、コンビニだけの仕事になりましたが、日曜日は、朝6時から15時までのシフトになってしまいました。9時間働きますが休憩はお昼に30分だけ…。

7時間勤務の時は15分だけ、しかも13時に仕事が終わるのに12時半から休憩とかありえないようなシフトでした。

当初月36時間のシフトだったにも関わらず2ヶ月後にはコンビニだけで月120時間働いていました。

これは夜勤の男の子の次に多かったです。

これでは身体がしんどくなっていくのは目に見えていました。

すると案の定、てんかん大発作が起き始めました。

発作の後は全身筋肉痛になります。それでも出勤しなければなりません。鎮痛剤を飲んでしゅっきんしたりもしました。

更に発熱して38度以上熱があった日マスクをしてさをして3時間だからと働いて30分で終わる!と言う時になり、バイトの子が37度熱あるんで休みますと連絡がありました。

店長から残業を言われてしまい私は「なんで37度の子が休めてその代理で38度超えてる私がやらなきゃならないの?おかしいでしょ!?」と訴えましたが帰してはくれませんでした。ただ、レジだけやればいいとはいわれましたけどね。

とにかくどんどんきつくなっていきました。

次回はてんかん大発作の二次被害のことを書いていきたいと思います。

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