共育(きょういく)

現在23才になる息子は重度の知的障害です。

言葉は話せません。排泄(オムツ使用)、着脱、食事、お風呂等、生活全般において介助が必要です。

障害のある息子を育てながら母の介護も加わり、事あるごとに実家に通う日々が続いていた17年程前、精神的にも体力的にも限界だった私は、そのことを夫と話し合い息子を週3日だけ保育所に通わせてみることにしました。

入所はスムーズではありませんでしたが、様々な人達に支えていただきなんとか息子の保育所での生活は始まりました。

保育所では常に息子と真剣に向き合い優しく見守ってくれる保育士さんや所長さん達の配慮のもと、周りの子供達とのコミュニケーションを大切にしながら卒園まで日々元気に過ごしました。

本当にこれで良かったのだろうか?という親の不安をよそに周りの子供達は少しずつ息子の存在を受け入れていきました。

息子も最初はとまどっているようでしたが、日々笑ったり泣いたりしながら徐々に感情の表現を豊かにしていきました。


何よりも息子の表情が豊かになっていくのが本当にうれしかった。

そしてこの時の経験に背中を押されるように小学校は地元の学校へ通い6年間共に過ごしました。

6年間すべてが順調だったわけではありませんが、何かあれば都度先生方と話し合い様々な人達に相談しながら周りの子供達と共に乗り越えてきました。息子はたくさんの子供達の中でありのままで存在し、周りの子供達も本当にごく自然に息子の障害を受け止めていく。

そして日々触れ合いながらお互いの違いを認め合う心思いやる心支え合う心を自然に学んでいく。そんな毎日が確かに保育所や小学校での生活の中にはありました。言葉だけでは伝わらない多くの想いを子供達は日々の触れ合いの中で少しずつ学んでいたように思います。

障害は人ごとではありません。健常で生まれても何らかの原因で後天的に障害を負ってしまう事もあります。


後天的に障害を負った時から突然分けられて生きていく事を受け入れるのはとても辛い事だと思うのです。子供達は今、もし明日自分が何らかの原因で障害を負ったとしたらもうここには居られないのだという無意識の不安の中で生活している事になります。

分けられている事が当たり前の教育現場や社会から子供達はどんな思いを学んでいるのでしょうか?


もちろん様々な特性を持った子供達に必要な環境や支援の体制を整える事はとても大事な事だと思っています。でもそれは完全に分けなければ出来ない事なのでしょうか?触れ合う事でしか得る事の出来ないたくさんの大切な想いがあります。

病気や障害があってもどの子もどの人も分け隔てなく大切な命なのだという事を今の分けられた教育の現状や社会の中で誰がどうやって伝えていくのでしょうか?


行政の方々にお願いがあります。どの子もどの人もそれぞれの想いが尊重され大切にされる安心安全に暮らせる社会へ。その為に今私達大人に何が出来るのか一緒に考えていきたいのです。

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