ADHD+ASD闘病日記 鬱病と診断されてから

「あなたはうつ病です。」医師から宣告されたのは今から3年前に遡る。

この宣告がボクの人生を大きく変わる事になるとはその時のボクには想像しがたいものがあった。

うつ病初期の頃は特に大きな問題や症状が無かったのだが、復職に失敗してからが酷い症状になったのだった。

どんどん加速度的に症状が重くなっていった。当然仕事どころじゃなくなり、人生初の失業も経験した。

クリニックも4軒変え、入院も経験した。クリニックを変える度に病名が下記のように変化した。

「抑うつ症状→うつ病→ASD→ADHD」といった具合である。

あまりにも変わるから自分でも体感出来ていない。それでも自分は「発達障害」という事が判明した事実に変わりはない事だ。それも自閉症スペクトラム障害と注意欠如多動性障害の2つにまたがる障害と診断されたのであった。

今の主治医からそのように診断を受けた時は「人生詰んでしまった……。」と思わず主治医位の前で呟いた程だった。

そして、目の前が真っ暗になったのを覚えている。

診断後

ボクは人生を悲観するようになった。もうこれ以上努力をしても一緒だと考えるようになり、生きる気力を無くしてしまった。

生きる気力を取り戻すにはかなり時間がかかった。ちょうどその頃は入院治療をしていた時期なので気力がある方が不思議である。

生きる気力が出てきたキッカケは両親からのある言葉だったように記憶している。

「もう治らない病気なのだから、もうこれ以上頑張らなくていい……。」元来負けず嫌いのボクはこの言葉を聞いた時は悔しくて涙を流した。

この両親の言葉がボクの生きる気力が湧き出すキッカケとなった。どうすれば今の状況を変える事が出来るかと真剣に考えた。

どうすればリカバリー出来るのかと、病院に置いてある発達障害に関係する本を読み漁り、疑問点が発生すれば主治医や担当看護師、ケースワーカーなど病院にある資源を手当り次第相談をする事にした。

その結果

ボクはこれ以上の努力を否定する両親と一緒に生活する事は出来ないと考え、思い切ってグループホームで生活をする事にした。自分は社会復帰したいという気持ちが強いのだが、2つの障害を持つボク1人では就職活動は困難を極めると思い、就労移行支援事業所に通所する事も視野に入れている。そして、自分のスキルの低さを痛感しているが一体何から手をつけたらいいのか、ずっと考えていたら病院で読んだ本の中で統合失調症の方が社会保険労務士試験に挑戦され合格し、そのスキルを使い仕事をしていると紹介されていた。ボクは思わず「これだ!ボクも挑戦しよう!」と心の底から呟いたのを覚えている。

しかし、この挑戦に大きな障害となっているのが、集中力の無さである。この病気になってから読書をしても思うように進まない事が目立ってしまっているぐらい集中力が無くなっている。社会保険労務士試験は科目も多いし自分では難しいのかもしれないと弱気になってしまった事もある。しかし、このままではいけない。必ずリカバリーして両親を驚かしてみせるんだと思い学習方法を自分なりに工夫して行っている。一例をあげると15分学習法である。1回の学習を15分程度で済ませて休憩を入れながら回数を増やしていく方法で少しでも前に進めていくやり方である。自分デイケア以外は自室にいるので時間はいくらでもあるのでこの方法は有効的だった。

繰り返しになるがボクは自分の人生を再び立て直すために「社会保険労務士」試験に挑戦している。この挑戦がボクの人生を好転させてくれたらいいなぁと強く願っている。

これから自分の人生はどうなっていくのかまだまだ不透明であるが、主治医や周囲の方々の協力を得ながら共に進んでいけたらいいなぁと思っている。

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